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パート・ド・ベールとは 『パート・ド・ベール』とはフランス語で、ペースト状のガラスという意味です。フランスのアール・ヌーボー初期の、ロダンと同時代の彫刻家アンリ・クロ(1840〜1907)が着色されたロー(蝋)を使ってレリーフ作品を作っていましたが、ローのままだと脆く、欠けたり溶けたりしやすい為、何とかローの質感を残しながら丈夫な物が出来ないものかと考えました。そして様々な色ガラスを砕いて粉状にした物をのりで練って耐火性の型に詰めて焼き、溶かして固めた後に型を壊して中のガラスを取り出すことを思い付きました。その為にその技法のことを「パート・ド・ベール」と名付けられました。しかし、のりの為焼けた後不純物の影響で無数の泡が発生し砂糖菓子の様で、求めていたローの様な質感が得られませんでした。アンリ・クロの弟子達の世代(アマルリック・ワルター(1869〜1959)、アージー・ルッソー(1885〜1953)、フランソワ・デコルシモン(1880〜1971)等)に成って漸く、ローの質感をもった作品が出来る様に成りました。しかし、第二次世界大戦を境にしてこの技法は跡絶え、戦後しばらくは、ガラス工芸の中でも最も難しい幻の技法と言われて来ました。この技法は形もローで原型を作る為に手で納得がいくまで自由に表現が出来、色も粉末状の為に混色や濃淡が思いのままに調節出来るのが、大きな特徴と成っています。
内田邦太郎(うちだくにたろう) 1942年京都出身 略歴 1942 京都に陶芸家内田邦夫の長男として生まれる 1967 東京芸術大学美術学部工芸科卒業(鋳金専攻) 大阪市立工業試験場無機化学課ガラス研究室入所 (ガラス調合研究) 1968 大阪市在三友ガラス工芸(株)入社 以後、5年間吹きガラスの修業 1976 幻の技法と言われて途絶えていた「パート・ド・ベール」を 戦後で初めて再現 。 以後、数々の展覧会で発表 1978 東京クラフトデザイン研究所にガラス科創設 1987 ニューヨーク、ヘラギャラリー「アート・グラス・オブ・ジャパン」展招待出品 作品をスイス・ローザンヌ美術館買上展示 1990 朝日現代クラフト展招待出品(同1992年) 1992 「内田邦太郎パート・ド・ベール作品集」出版 2010 「ギャラリー幻想」をオープン 2011 京都・横浜・勝浦など、通年を通して、積極的な展示会出展を行っている。 現在も新たな作品創りに挑戦し続け、積極的な活動を継続している |
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2010 gallery GENSOU. |